マダム・美起・ラメール
プロフィール
- 1953(s.28)年
- 白鴎高校(旧府立第一高女)卒業
- 1958(s.33)年
- 文化女子短期大学卒業 徳川賞受賞
- 1962(s.37)年
- アメリカ留学
ファッション インステイテュート オブ テクノロジー(F.I.T)を主席で卒業
- 1978(s.53)年
- テレビドラマ「悪女について」、「熱中時代」の衣装デザインを担当
- 1979(s.54)年
- 第一回チャリティーファッションショーを開催(ユニセフ協会、老人ホーム、日本盲目会、鐘のなる丘に寄付)
- 1980(s.55)年
- アトリエ美起ラメールを開設
秩父宮妃殿下のデザインを承る
- 1981(s.56)年
- 第三回チャリティーファッションショーを開催(ミラノ マリア像より「感謝」の啓示をうける)
「55年度芸術文化に貢献した人々との懇親の集い」で総理官邸に招かれる
デザイナー美起ラメール襲名
イトマンと寝具のライセンス契約を締結
- 1982(s.57)年
- 第4回チャリティーファッションショーを開催(ミラノ マリア像より「奉仕」=「美起ラメールの創り出す物で、人々に幸せを与えなさい」と云う啓示をうける
- 1983(s.58)年
- (株)美起エンタープライズにてライセンス契約を結ぶ
(株)リオ横山と婦人服のライセンス契約
東レ、オークと6人のデザイナーズギャラリーに契約
西沢K..K(紳士ネクタイ)とライセンス契約を締結
- 1984(s.59)年
- 三井信託銀行の女子ユニフォームをデザインする
中曽根元総理夫人のデザインを承る
- 1985(s.60)年
- 日本シルク協会、羽田孜農林水産大臣の要請で、シルクのファッションショーを開催
- 1986(s.61)年
- 美起エンタープライズにてアパレル事業をスタート。政界の夫人や大使夫人達から多くの注文を受けるようになる
- 1988(s.63)年
- 毎朝、日枝神社の掃除を始める(丸15年続ける)
- 1989(h.1)年
- 日本で最大の隕石が落ちた山を持つ(株)井上産業との事業をスタート
(株)美起ジャパンより「日枝の霊水」を、サービス宅配分「ご真水」として世に出し今日に至る
石は薬石シートと「握り菩薩」=「み仏」となって多くの人達に喜んでもらう
- 2001(h.13)年
- 10年続けてきた希人の会(広中平祐先生主催)に中島竹志氏を紹介し、地球環境事業の応援を始める
これを機に、多方面で地球環境浄化に関わる人達が多く美起ラメールの周りに集まり、美しい地球の蘇生に力を注ぐようになる
- 2004(h.16)年
- 日枝神社の掃除を15年続けるうち、神様の波動を授かる様になり、多くの重要な方々から大切なご相談をうけるようになった